濱口道雄の経歴&プロフィールとヤマサ醤油の歴史。後継者は息子?

こんばんは。ちょこざえもんです。

今日はテレビ東京の「カンブリア宮殿」に出演する、「ヤマサ醤油」会長の『濱口道雄』さんについて調べてみました。

醤油業界は右肩下がりと言われていますが、その中にあってヤマサ醤油は売上を順調に伸ばしているそうです、その成長の秘訣が放送されると思いますが、長い長いヤマサ醤油の歴史と濱口道雄会長の経歴とプロフィールをご紹介します。

ぜひ番組と合わせてご覧ください。

出典 和歌山県公式サイト

それでは、早速プロフィールからご紹介させていただきます。

《プロフィール》

名前:濱口道雄(はまぐちみちお)

生年月日:1943年5月22日(74歳)

出身地:千葉県

学歴:麻布高校→慶応義塾大学商学部卒業

職業:ヤマサ醤油会長

《経歴》

1966年:大学卒業→東邦生命保険相合会社

1968年:ヤマサ醤油株式会社入社

1973年:取締役 就任

1982年:常務取締役 就任

1983年:第12代目代表取締役社長 就任

2017年:代表取締役会長 就任

2017年:旭日中綬章を受章

濱口道雄さんは3人兄弟の長男として誕生しましたが、他のお二人は女性なので、創業家の12代目になります。

慶応義塾大学商学部卒業後すぐにヤマサ醤油い入社したのかと思ったら、「社会勉強のため」

東邦生命保険相互会社に入社したのだそうです。

ヤマサ醤油は、東邦生命の保険に加入していたのですかね?

そして2年後、25歳の時にヤマサ醤油に入社しました。

濱口道雄さんの奥さんは祥子さん、お子さんは息子さんではなく、一人っ子のお嬢さんで、菜津子さんとおっしゃるそうですが、一般の方で情報が少ないのでこれ以上は分かりませんでした。

ヤマサ醤油の歴史と歴代の社長

創業から370年以上も続くヤマサ醤油ですが、100年以上続いている企業は、『百年続く企業の条件』(帝国データバンク編)によると、1万9518社あり、そのうちの938社は200年以上、さらに435社は300年以上続いているとありますので、370年ってどれだけすごいのかよく分かりますよね。

《ヤマサ醤油の歴史》

1645年(正保2年) 創業
1928年(昭和3年) 株式会社組織に改組
1957年(昭和32年) リボ核酸分解法による調味料製造法を発明
1970年(昭和45年) 医薬品製造業の許可取得
1986年(昭和61年) 体外診断用医薬品「C-AMPキット」「PTHキット」製造・販売を開始
1992年(平成4年) YAMASA CORPORATION U.S.A. 設立
1994年(平成6年) アメリカ工場(オレゴン州)完成
1999年(平成11年) 特別注文品新工場竣工(現株式会社ヤマサORM)
2000年(平成12年) ISO 9001:2000認証取得
2002年(平成14年) 醤油工場設備更新(スーパーステンレスタンク増設)
2004年(平成16年) SAN-J INTERNATIONAL, Inc. を買収
2005年(平成17年) サンジルシ醸造株式会社の営業譲受
2008年(平成20年) 醤油の販売会社 YAMASA(THAILAND)CO.,LTDを設立
2011年(平成23年) 成田工場竣工(株式会社ヤマサ成田工場)
2015年(平成27年) Yamasa Europe B.V.を設立
2016年(平成28年) YAMASA ASIA OCEANIA CO., LTD.を設立

引用 ヤマサ醤油公式サイト

《歴代社長》

初代・創業者 濱口儀兵衛
二代目    濱口教了
三代目    濱口教寛
四代目    濱口安六
五代目    濱口灌圃
六代目    濱口保平
七代目    濱口梧陵
八代目    濱口梧荘
九代目    濱口梧圃
十代目    濱口梧洞
十一代目   濱口勉太
十二代目   濱口道雄

現在、ヤマサ醤油は資本金が1億円、従業員792名、売上555億円(2016年12月期)と、順調に伸びていて、シェアでは同じ千葉県に拠点を置く、キッコーマンに続いて全国第2位です。

非上場の同族企業でもあります。

濱口道雄さんは34年にわたり、ヤマサ醤油をけん引してきましたが、今年勇退し、後任の社長には石橋直幸(いしばなおゆき)さんが就任しています。

濱口姓じゃない?とビックリしましたが、濱口道雄さんの甥っ子さんだそうで、濱口家のDNAを引き継ぐサラブレッドなんですね。

ちなみに新社長の石橋直幸さんは、38歳の若さだそうです。

また、ヤマサ醤油の歴史を語るうえで忘れてならない人がいますが、その方はヤマサ醤油7代目社長濱口儀兵衛(梧陵)<はまぐちぎへえ(ごりょう)さんです。

ヤマサ醤油7代目社長。名は成則。紀州広村(和歌山県有田郡広川町)の分家に生まれる。

12歳で本家である6代目濱口儀兵衛(保平)の養子となる。

1854年(安政元)、紀州に戻っていた儀兵衛(梧陵)は、巨大地震(安政東海地震と安政南海地震という2日連続して起きた地震)に遭遇した際、潮の引き方や井戸水の変化などから津波が来ることを察知し、村人を高台へ避難させる為、自分の田んぼに積んであった稲束に火を付けて道しるべにさせて多くの人命を救った。

この人命救助については、明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が自著の中で「生ける神」と賞賛し、当時の教科書にも「稲むらの火」として紹介された。

その後、私財を投じて仮設住宅の建設や農漁具の調達などを行い、離村を防止した。

また、将来の津波被害防止の為に対しても多額の私財を投じて、1855年(安政2)から約4年をかけて、全長600m・高さ5m・幅20mの堤防を建設した。

1858年(安政5)、江戸でコレラが流行した時、銚子の開業医・関寛斎を江戸に招き、親交のあった名医に預けて予防法や治療法を研究させ、銚子地方を救った。

また、翌年には、江戸のお玉ヶ池種痘所(東京大学医学部の前身)が火災で焼失した際、巨額を寄付して再建した。

幕末から明治にかけて、佐久間象山・勝海舟・福沢諭吉などとも親交があった。

引用 http://arida.wakaayu.net/bb/hamaguchi.htm

やっぱり長く繁栄する家系には、必ず世の中のために生きた、功労者の先祖がいるんですね。

そういった歴史が、家柄の良さや業績に結び付いているんでしょうね。

まとめ

いかがだったでしょうか。

家庭用だけでなく、名店にも愛されるヤマサ醤油の歴史と、12代目社長の経歴&プロフィールを紹介してきましたが、創業372年の重い歴史の一つまみでもご紹介できたでしょうか?

放送では、なにか老舗の秘訣などを聞けるのか、非常に楽しみです。

今夜のカンブリア宮殿は、22:00~テレビ東京系にて放送されます。

それでは本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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